1993年8月:中華人民共和国国務院新聞弁公室
二、台湾問題の由来 台湾は第二次世界大戦の後、法的にだけでなく、事実上も中国に返還されている。それにもかかわらず、台湾問題が出現したことは、中国国民党が反人民的な内戦を発動したことに関連するもので、さらに重要なのは外国勢力の介入があったことである。 台湾問題と国民党が発動した内戦 。中国が抗日戦争を遂行している間、中国共産党とその他の愛国勢力の努力によって、中国国民党と中国共産党は抗日民族統一戦線を確立し、日本帝国主義の侵略に抵抗して戦った。抗日戦争勝利の後、本来ならば両党は手を携えて、ともに中華振興の大業を担うべきだったが、当時の蒋介石を首領とする国民党集団はアメリカの支持に依拠し、全国人民の平和と独立、民主、富強の新中国の建設の強烈な願望を顧みず、国共両党が取り交わした「双十協定」を破棄して、全国規模の反人民的な内戦を発動した。中国人民は中国共産党の指導の下で、圧迫された三年余りの人民解放戦争を遂行した。当時の国民党集団の道理に逆らった行為に対して、全国各族人民はこれを唾棄して、終に中国人民は南京の「中華民国」政府を覆した。一九四九年十月一日に、中華人民共和国が成立し、中華人民共和国政府が中国唯一の合法政府になった。国民党集団の一部の軍政人員は台湾に退去した。彼らは当時のアメリカ政府の支持の下、台湾海峡の両岸に隔絶状態を造成した。 台湾問題とアメリカ政府の責任 。第二次大戦後、当時の東西両大陣営の対峙状況で、アメリカ政府は、彼らのいう世界戦略と本国の利益の考慮に基づいて、資金援助、武器援助、人的援助の余力が残っていなかった中で、中国人民の革命事業を妨害した。しかし、アメリカ政府は、最終的に自ら希望する目的を達成することができなかった。アメリカ国務省が1949年に発表した白書「アメリカと中国」とアチソン国務長官がトルーマン大統領に送った書簡は、いずれもこの一点を認めざるを得なかった。アチソンは彼の書簡で次のように述べている。「中国の内戦は結局のところアメリカ政府の制御能力を超えており、これは不幸なことであり、また避けることができないものである」。あるいは、「このようなことは結局のところ最終的には発生するのであり、これは我々が何かを少ししか行なわなかったことが原因であるわけではない。これは、中国内部の各種の力が作り出すものであり、わが国はすでにこの種の力を動かす方法をもっていないし、そのようなことは効果がない」。 中華人民共和国の誕生後、本来であれば当時のアメリカ政府は中国の内戦の泥沼を離れて外に身を置くべきだったのだが、実際にはそのようにせず、新中国に対して孤立的、抑圧的な政策を採用し、さらに、朝鮮戦争の勃発後は、純粋に中国の内政である海峡両岸関係に武装干渉を行なうに至ったのである。1950年6月27日、アメリカ大統領トルーマンは声明を発表して「私はすでに台湾に対する攻撃をすべて阻止させるべく、第七艦隊に命令した」と語った。同時に、アメリカ第七艦隊が台湾海峡に侵入し、アメリカ第十三航空隊が台湾に進駐した。さらに、1954年12月アメリカは台湾当局との間にいわゆる「共同防衛条約」を締結し、台湾海峡地区の長期の緊張対峙状況を造り出した。これにより、台湾問題は中米両国の重大な争点にもなったのである。 台湾海峡地区の緊張状態を緩和するため、中米両国間の争いを解決する経路を探索するために、中国政府は1950年代中期には、すでにアメリカとの対話を開始していた。1955年8月から1970年2月まで、中米両国は136回の大使級会談を行ったが、台湾海峡地区の緊張状態の緩和と除去にについて、なんらの進展も得ることができなかった。60年代末から70年代初めに至り、国際情勢の発展変化と新中国の力量の進展につれて、アメリカは対華政策を調整しはじめ、徐々に、両国関係の雪解け状態が出現した。1971年10月、第26回国連総会で2758号決議が可決され、中華人民共和国の国際連合におけるすべての合法的な権利が回復され、台湾当局の「代表」が追放された。1972年2月、アメリカ大統領ニクソンは中国を訪問し、中米双方は上海で共同コミュニケを発表した。コミュニケでは、「アメリカ側は、台湾海峡の両側のすべての中国人がみな、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であると考えていることを認識した。アメリカ政府はこの立場に対して異議を提出しない。」としている。 1978年12月、アメリカ政府は中国政府が提出した国交正常化三原則を受け入れた。つまり、アメリカは台湾当局と「断交」し、「共同防衛条約」を廃棄して、台湾から軍隊を引き上げた。中米両国は1979年1月1日に正式に国交関係を樹立した。中米の国交樹立声明では、「アメリカ合衆国は中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であることを承認する。この範囲内で、アメリカ人民は台湾人民と文化、経済、その他の非政府的な関係を保持する」、「アメリカ合衆国は、中国は一つしかなく、台湾は中国の一部であるという中国の立場を認識する」としている。これにより、中米関係は正常化を実現した。 しかし残念なことに、中米国交正常化後三ヶ月も経たない時期に、アメリカの議会はいわゆる「台湾関係法」を通過させ、アメリカ大統領がこれに署名して効力を発生させた。この「台湾関係法」は、アメリカの国内立法形式によって、中米正常化コミュニケと国際法の原則的な規定に幾重にも違反しているもので、中国人民の権益を深刻に侵害している。アメリカ政府は、この関係法を根拠にして台湾への武器輸出と中国の内政への干渉を継続し、台湾と中国大陸の統一を阻害している。 アメリカの台湾むけ武器輸出問題を解決するために、中米両国政府は交渉をもち、1982年8月17日の協議で、中米関係の第三次共同コミュニケを発表した。このコミュニケは「8.17コミュニケ」と略称される。コミュニケで、アメリカ政府は「台湾に対する長期の武器輸出政策を継続せず、台湾に輸出する武器の性能と数量は、中米国交正常化の時期後の数年間に提供してきた水準を越えず、徐々に台湾への武器輸出の減少を準備し、一定の期間の経過後、最終的な解決を導く。」とした。しかし、この十数年来、アメリカ政府はこのコミュニケの規定を真摯に遂行してこなかったばかりでなく、不断にコミュニケに違反する行為を行なってきた。1992年9月、アメリカ政府は台湾に対して150機のF-16型戦闘機を輸出することを決定した。アメリカ政府のこの行動は、中米関係の発展と台湾問題の解決に対する新たな障害を発生させた。 このように、台湾問題が現在に至るまで未解決であることについて、アメリカ政府には責任がある。70年代より、アメリカの政府または民間に多数の有識者や友好人士がいて、中米間の台湾問題の解決のために、多くの仕事をしてきた。前述の3つの共同コミュニケも、彼らの努力と貢献に含まれるものである。しかし、今日に至るも、アメリカには中国の統一を望まず、さまざまな口実を作り、さまざまな影響を行使し、台湾問題の解決を阻害している人士が確かに存在すると考えざるを得ない。 中国政府は、アメリカ人民と中国人民が友好的であることを信じている。両国の関係が正常に発展することは、両国人民の長久の利益に符合し、それは共同の願望でもある。中米両国は、両国関係発展のための不動の指導方針である三つの共同コミュニケを尊重すべきである。双方が三つのコミュニケの原則を遵守して、相互に尊重し、大局を重んじれば、歴史的に残されてきた台湾問題の解決は難しくなく、中米関係は必ず、継続的な改善と発展を獲得することができるだろう。 |