編集日記

2005年2月9日:日本共産党の支持者で、反戦運動などに参加している社会主義者さんのサイト「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」と相互リンクすることにしました。世の中変っているんですね。なかなか、しっかりした考え方の人物です。
2002年11月12日:さる11月5日、戦後ずっと日中友好の事業にたずさわってきた元日中学院副院長江尻健二さんに、お話を聞くことができ、また、大変、貴重な資料を多数お借りすることができました。たとえば、後楽寮自治会の作成したパンフレット「日共修正主義グループの華僑青年学生に対する襲撃事件の真相」もそのひとつですが、これは私がこのホームページを立ち上げて以来、追い求めてきて、東京華僑総会にも保存されていなかったものです。その他、図書館や書店では決して入手できない華僑青年闘争委員会関係の資料や「満州国留日学生会館(善隣学生会館の前身)」に関する資料も多数所蔵しておられ、私の作業を考古学の発掘になぞらえれば、これまでの学説をすべて書き換える根底的な資料の発見ともいうようなものでした。今後、お借りした資料を、少しづつ電子文書化して、当ホームページで公表したいと考えています。また、今後は、できうる限り関係者のインタビューなども企画したいと思っています。
2002年5月22日:光岡玄氏の論文「善隣学生会館流血事件の意味するもの(中国研究月報1967年3月号)」の全文掲載について、本人から了解をいただきましたので、掲載を復活しました。この場で、光岡玄氏へのお礼を申し上げます。
2002年4月6日:かつて、中国研究所よりクレームのあった光岡玄氏の論文「善隣学生会館流血事件の意味するもの(中国研究月報1967年3月号)」の全文掲載についてですが、本人のサイドからの了解により著作権の問題がクリアされる見通しになりました。これが明瞭になり次第、掲載を復活したいと思います。ご期待ください。
2002年4月4日:かつて、寺尾五郎「日中不戦の思想」を譲っていただいた葉寺覚明さんから、またまた、貴重な資料である「中国研究1977年3・4月合併号」のコピーを送っていただきました。興味深い記事、論文が多数あり、順次、このホームページで公開させていただくことにします。

葉寺さんに、この場にて、お礼を申し上げます。

2001年5月29日:このサイトを立ち上げたときには、元気があって、編集日記なども毎日のように書き足していくものと考えていたので、2000年8月が終わったときには、8月分の日記のレベルを下げて、別のページにしたものです。

 ところが、サイトの記事は簡単には集らず、資料を収拾してもその編集にも思ったよりも時間がかかり、毎月の日記を別ページにする必要はなかったようです。本日、前々から予定していた裁判資料の一部を公表することができました。

 また、東京華僑総会の殷秋雄会長に、善隣学生会館事件当時のことや、その現在における評価についての見解をお話いただきました。今後の、資料や証人の掘り起しに協力をお願いしたところ、快諾をいただき、大変、有り難く思っています。華僑報のバックナンバーを譲っていただきましたので、いずれWeb文書化したいと思います。

 日中友好協会の丸山事務局長にも、当時の貴重なパンフレットを探していただきました。この場にて、お礼を申し上げておきます。

12月2日:鳴り物入りの2000年問題で明けた2000年もはや師走となり、いよいよ新しい世紀が到来しようとしています。最近、大変多忙になり、しばらくホームページの更新を行なうことができませんでしたが、ようやく、前々から予定リストにあった「日中青年学生共闘会議の論文?」を追加することができました。
9月23日:「日本と中国」の3月27日号を公開します。この中の記事の内容から、「華僑学生側」の資料の元になる文書として、中国留日学生後楽寮自治会作成のパンフレットがあることが分かります。このパンフレットは入手困難ですが、何とか、時間をかけて捜したいと思います。寺尾五郎「日中不戦の思想」の第一章(現在、第一節のみ公開)は、2月28日から3月2日までの事件の経過をかなり詳しく記述していますので、近日中に残りの節も公開したいと思います。

 寺尾氏の著作については著作権の問題が、発生する可能性があるので、全文の公開は難しいと思います。ただし、なんらかの道が開け、寺尾氏とコンタクトが取れれば、掲載を了承していただけるかもしれません。一応、そのような希望は捨てていません。これは、光岡玄氏についても同様です。

9月12日:3月10日付け赤旗紙1面の関係記事を収録しました。
9月16日:日本と中国1967年4月3日号を電子文書化しました。分類作業が進まないまま、収録文書が増えてきています。また、新たな視点で、背景に関する資料の収集も行いたいと思うようになり、このホームページの完成はむしろ遠のいているかの感があります。

本日、葉寺同士から、寺尾五郎「日中不戦の思想」が届く。感謝。

9月12日:3月10日付け赤旗紙1面の関係記事を収録しました。
9月10日:日中友好協会(正統)本部機関紙「日本と中国」1967年3月13日号は、私にとってある意味で大変懐かしい資料です。第1面に続き、第2面も電子文書化しました。段々と、収録している資料の数が増えてきました。まだ、私の満足する水準には達していませんが、そろそろ表示形式も見づらくなってきました。今後、折を見ながら、現在は単に収録順に積み上げたようになっている資料の群れに対し、私の編集視点による分類を行い、整理を加えていこうと思います。
9月6日:赤旗紙の記事を電子文書化しました。これまでの文書の内容はなかなかうっとうしくなるようなものばかりで、これでは多くの人は見にきたくなるかもしれません。つくっている本人が、悪罵と暴行の記事の連続で、少々閉口ぎみです。それにめげず、事件の真相を高いところから見られるようになるまで、がんばります。
9月3日:8月31日に、国会図書館で入手した資料のうちから、日中友好協会(正統)本部機関紙「日本と中国」の1967年3月13日号の1面を電子文書化しました。複写資料はまだまだヤマのようにあるので、しばらくは資料収集の心配は要らないようです。むしろ、電子文書化の手間が大変です。縮刷版のコピーなので、OCRでの読み込みができず、文章は手入力の必要があるからです。

2000年8月分編集日記

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