以下に紹介する資料は、1967年3月15日付の赤旗紙の同じ欄に掲載された、『中島健蔵の転落について』と『三十五人の「声明」に反論する』という二つの論説です。前者は、中島健蔵という個人名をあげて、同氏の「転落」を非難していますが、33年後のいま読み返しても寒気を覚えるような、なかなかパンチの効いた言い回しです。いま一つの論説は、同年同月の13日に発表された文化界35氏の声明に対する反論として書かれたものです。 |
2000年8月30日 猛獣文士 |
中島健蔵の転落について |
三十五人の「声明」に反論する |
中島健蔵の転落について |
立木 洋 |
(一)
日本中国文化交流協会の理事長中島健蔵は、さる三月四日、日中友好協会から脱走した反党分子宮崎世民らとともに、「日本共産党の指導する暴力団の中国人学生および日中友好を守る日本人に対する暴行の真相報告会ご案内」なる文書を配布し、日本共産党にたいしてあらためて公然と攻撃をくわえてきた。
中島は、この文書で、日本共産党本部の指導する暴徒数百名が在日華僑学生らを襲撃し、「おそるべき暴力事件をまきおこした」とのべている。
中島は、今回の暴力事件を「まきおこした」のは、在日華僑学生やこれに加担した対外盲従分子、トロツキストらではなく、日中友好協会とこれを支援する側であると、恥知らずにも文字通りサギをカラス、白を黒といいくるめるペテンをあえてしている。
在日華僑学生や対外盲従分子によって、一月なかばから、とくに露骨に日中友好協会本部事務所への襲撃が計画され、日中友好協会第十六回大会(二月二十五、二十六日)が歴史的成功を納めて閉会した直後の二月二十八日、かれらがいよいよこの計画を実行にうつして、日中友好協会本部事務所への直接の暴力的襲撃を開始したことは、すでに「赤旗」などで争う余地のない事実によって、あきらかにされている。そして、二月二十八日から三月二日にいたるかれらの暴状も、すでに詳細に報道されているところであり、ここにくりかえすまでもない。とくに二月二十八日からまる二日間、日中友好協会本部事務局員は、事務所の中に監禁され、食事もとれず、便所へも行けず、電源をきられたまっくらな室のなかに、ストーブもたけないままとじこめられて、女子もバケツに用をたすという悲惨な状況におかれたのである。このような状況を放置しておけないことはいうまでもない。もはや正当防衛権を行使する以外に道はないということはなん人の目にもあきらかである。
中島はこうした事実と経過については知らぬ顔をよそおい、口をつぐんでいる。そして、日中友好協会本部事務所のまえにかれらがきずいたバリケードを撤去するなどの正当防衛権の行使にたいして、卑劣にもこれを襲撃と呼び、しかもわが党へ攻撃のほこ先を集中しているのである。「文化人」中島健蔵の目には、日本の首都東京のまんなかで、「不法監禁」などによる目もあてられないような悲惨な状況がはばかりもなくおこなわれていることは当然のことであり、このような状況を排除しようとするなどとは、とんでもない不当であるとうつるのであろうか。いうまでもなく正当防衛権行使のなかで、これにがん強にはむかってくる暴力分子が負傷したとしても、これにたいしては、土井大助氏も書いているように、「日本語では『自業自得』ということばをあてはめるのである」
さらに中島は、この文書のなかで、「これらの暴徒は口ぐちに『チャンコロ』、『反毛』とさけび」などと書いている。中島はこれをたしかに自分の耳できいたといえるのか。それともかれは、だれかに吹き込まれたデマを口うつしにしているのか。日本共産党と進歩的な日本人民は、戦前もいまも「チャンコロ」などということばを、かりそめにも口にしたことはない。また「反毛」などということばも日本人の用語ではない。かれはまた、「首脳者は警察に対し、駐日廖承志事務所に挑発をかけるよう策動し」などとも書いているが、なにを証拠にそういうのか。このようなまったく事実無根のデマにたいし、中島は将来にわたってはっきり責任を負うべきである。
中島健蔵の署名しているこの文書は、さきごろまで文学者、評論家として知られ、進歩的文化人、民主的人士として見られてきた中島が、いまや特定の外国の一部勢力に骨の髄から盲従し、その手先となって、日本共産党にたいする攻撃と日本の民主運動の分裂、破壊を「職業」とする日本人民の裏切りもの、一個のペテン師に転落したことをしめすものである。
(二)
中島健蔵の今日の姿は、昨年末のかれの一連の行為からみて、けっして偶然のものではない。
中島は、昨年九月二十六日に発表された分裂の道具としてのいわゆる「三十二氏のよびかけ」なるものに名をつらねた一人である。
その後、日中文化交流協会の責任者の立場にあるかれは、その立場を利用して、中国からの訪日代表団をむかえた種々の会合や宴会の席上、つねに特定の一部の外国勢力による「非友好分子」「友好運動の妨害者」「現代修正主義のあらたな追随者」なる名をもちいてのわが党と日本の民主運動にたいする攻撃のお先棒をつとめてきた。そして、わが党をひぼう、中傷し、民主運動を分裂させる策謀の「組織者」としての役割を急速につよめてきた。
さる二月十日、北京において日中文化交流協会代表と中国人民対外文化友好協会代表との間で「文化交流にかんする覚え書き」なるものが調印されたが、これは反党対外盲従分子西園寺公一が署名し、同じく反党対外盲従分子大塚有章が参加した中でおこなわれたもので、「日本の修正主義分子」なる呼び名をもちいて、わが党を攻撃している文書である。このようなわが党攻撃の「覚え書き」の作成を承認し、促進したのがほかならぬ中島健蔵であることはいうまでもない。
いまは、身も魂も特定の外国の一部勢力に売りわたし、理性も良識もかなぐりすて、みずからの頭脳をもって自主的に思考する力、いっさいの正常な批判能力を完全に喪失して、見ぐるしいほどの拝外思想にとりつかれた中島が、「進歩的文化人」「民主運動の人士」などという過去の経歴からは、まったく無縁の存在になり下がったことはあきらかである。昨年七月、北京でひらかれたアジア・アフリカ作家会議に出席した中島が、口ぐせのように「ここは東京じゃないんだぞ。中国の北京だぞ。ヘンなことをいうと消されるぞ」といっていたことは、関係者のあいだではよく知られている。かれは、いま、当時のこの立場を、中国ならぬ日本にまで持ちこんで、外国の一部勢力の手先となって、日本共産党の攻撃に狂奔し、日本の民主運動を外国の一部勢力の従属物にかえようとして、文字通り「犬馬の労」をとっているのである。
かれが過去の経歴を利用して、日本の民主運動のなかに席をもちつづけ、民主人士顔をしながら、日本の民主運動を分裂させ、日本の民主運動を外国に売りわたそうとしても、日本の民主勢力と人民は、かれのたくらみをいつまでもゆるしておくほど、けっして甘くはないであろう。
(赤旗1967年3月15日)
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(一)
三十五名のなかには、中島健蔵、伊藤武雄のような日中友好運動にたいする分裂、破壊策動の中心人物をはじめ、金子二郎、一円一億、船山信一、拓殖秀臣、蝋山芳郎などの学者や、内田吐夢、杉村春子、千田是也、滝沢修、花柳徳兵衛、東山千栄子、依田義賢などの映画演劇人、西川景文、大谷瑩潤、大河内隆弘などの宗教家も名前をならべています。
ここに名を連ねた人びとの考え方はさまざまで、たとえば一人の学者は、わが党にたいし電話で「私は日本共産党が日本の民主運動の中心の力となっているもので大切な党だと思っています。しかし、こんどのような不幸な事件は悲しみにたえない。今後も党のほうとぜひいろいろお話したい」といっています。
この学者は、「『赤旗』もむこうの新聞も両方とも拝見しています」といいながら、けっきょく「むこう」の宣伝を一方的にうのみにし、日本人民の自主的な民主運動の発展に大きな障害をもたらすこのような声明に名をつらねているのです。また、同じく声明に参加したある文化人は、「とにかくけんかはいけない、両成敗だ」という簡単な理由をのべているだけです。
「声明」は、いわゆる「善隣会館事件」についての在日華僑学生や対外盲従分子のこれまでのたびたびの「声明」と同様に、まったく意識的にねじまげられた「事実認識」を前提にしてくみたてられています。
(二)
二月二十四日に、同会館内の会議室で日中友好協会が催した映画界がひらかれたとき、在日華僑学生たちは、同会館の玄関から映画会場にかけて、日中友好協会を「犬の頭」「修正主義者」「反中国分子」などと口ぎたなくののしった三、四十枚の壁新聞をはりだしたり、会場を案内する矢印を反対につけたポスターをはったりし、正面玄関にたむろして「反中国分子のやる映画をみるな」「修正主義者のやる映画界に参加するな」とわめきたてました。しかもかれらは「中国人はいるべからず、日中友好協会」という日中友好協会の名をかたったもっとも悪質な挑発文書まではりだしたのです。これはまさにアメリカのCIAやナチスがやったデッチあげの手法であり、日本の民主団体を攻撃するためには手段を選ばない卑劣なやり方です。
このような恥も外聞もない「デマとデッチあげの攻撃と同時に、かれらは亜細亜通信社や日中貿易促進会の労働組合にたいしてやったと同様のやり方で、日中友好協会にたいして暴力による攻撃をかけてきたのです。
周知のように善隣会館のなかで華僑学生は三階と四階に居住しているのですが、こんどの事件をつうじて日中友好協会員や支援団体は三階はおろか二階にさえも一人として足をふみいれたものはいません。何回かの事件はすべて一階玄関から日中友好協会のへやの間でおこっているのです。いったい攻撃したのがだれで防御したのがだれか、この一事だけからみてもあきらかでしょう。
声明を発した「良識」ある文化人はこういう事実をすこしでもまじめに調べてみたのでしょうか。
(三)
また「心ある日本人」とはいったいどういう日本人をさすのでしょうか。だれでも日本にきている中国の人びとと仲よくしていきたいのは当然のことです。また、日本にきている中国人が自分の国の指導者などを崇拝するのも自由です。しかし善隣学生会館の在日華僑学生や対外盲従分子たちは、中国の指導者の指導を日本の民主運動や革命運動にまで持ち込み、これと異なる意見をもつ日本共産党や民主団体を「修正主義」「犬の頭」「反中国分子」とののしり、日本共産党や民主団体に攻撃をかけてきたのです。
「心ある日本人」ならば、このような不当な干渉にはたえられないでしょう。「声明」に署名した三十五人の文化人たちは、まさに「心を失った日本人」になり下がったといわざるをえません。
「声明」は「私たちは、このような日本人の品格を傷つける事件を日本と日本人自身の問題として重大視し、……ここに広く良識ある方々に訴え、世論がこれを裁くことを熱望します」とのべています。
今回の在日華僑学生たちの行為は、「紅衛兵」熱にうかされ、時も場所がらもわすれた理不尽な暴挙であって、かれらがみずからその品格を失ったことは、真の日中友好のためにまことにおしむべきことです。
三十五人の文化人にもしほんとうの良識があったならば、在日華僑学生や対外盲従分子たちの悪質な暴挙を制止するための世論を喚起すべきでした。
その主観的意図のいかんにかかわらず、日本人の良心をみずからはずかしめ、日本の民主運動をひぼうするおうなこんどのデマ「声明」に署名したことによって、三十五氏の「良識」の本質はいかんなく暴露されました。
遠からず、かれらの期待するように人民の世論が正しくこれをさばくにちがいありません。
(赤旗1967年3月15日)
三十五人の「声明」に反論する
■「善隣学生会館襲撃事件」について
吉原次郎
三月十三日、白石凡、井上清、坂本徳松らの発起で三十五名の「学者」や「文化人」が連名で発表した「善隣学生会館襲撃事件についての声明」なるものは、在日華僑学生や対外盲従分子たちがいま口をそろえて大宣伝している「日共暴力団の善隣会館襲撃事件」をめぐって、日本共産党と民主青年同盟、日中友好協会を名ざしで口ぎたなくののしった悪質な文書です。
「紅衛兵」のやり方をまねる在日華僑学生や反党対外盲従分子の一連の日本共産党攻撃や日中友好協会にたいする攻撃の特色の一つは、日本の党と民主団体に打撃をあたえるためには、どんな恥知らずなことも平気でやるということです。
三十五人の「文化人」による日本共産党攻撃の「声明」は、「このような暴力事件を起こしたことは、正常な日中友好を阻害するだけでなく、国際感覚を欠いた所業で、心ある日本人であれば、イデオロギーのいかんを問わず、だれでも、その非常識に驚き憤激せざるをえないでしょう」とのべていますが、かれらのいう国際感覚とはいったいなんのことでしょう。日本の民主団体の人びとは「犬の頭」「修正主義者」「反中国分子」などとののしられ、婦女子をふくめて、まる二日間も一室に監禁され、会館内には竹ヤリやこん棒をもった暴力分子がたけりくるっている、いつどうなるかわからない、このうえない危険な状況におかれていました。室内にとじこめられた人びとは、電源もきられてまっくらななかで、食事もとれず便所へも行けず、女子までバケツで用をたすという悲惨さでした。そういう事態に直面した場合には、礼をつくして、静かに自分の事務所から退去すべきであり、「それが国際感覚」だというのでしょうか。