1967年3月3日付の赤旗紙の一面には、善隣学生会館の事件について、前日よりも広いスペースで、強い口調で、多くが語られています。この「華僑学生と盲従分子」の襲撃が1ヵ月も前から計画されたものであるという主張が加えられています。
2000年9月6日 猛獣文士

日本人民への不当な干渉 許さず

中国留日学生
対外盲従分子
日中友好協会を三たび襲撃

協会
員ら
断固、正当防衛権を行使
各団体の支援で攻撃を排除


 中国留日学生後楽寮自治会の中国学生、日中友好協会の脱走分子、国際貿易の盲従分子、華僑などは二月二十八日、三月一日、三月二日と三日間にわたって、日中友好協会(東京文京区後楽寮(ママ)善隣学生会館内)を襲撃、事務所への侵入をはかり、本部員に暴行を加えるなどの卑劣な暴行を加えました。この攻撃は、日中友好協会脱走分子のつくる「造反団」と称する連中が中国留日学生と結んで計画的に準備してきたものです。これにたいし、日中友好協会事務局は、東京各区の労組員、民主団体員などの支援をうけて本部を防衛しました。中国留日学生や対外盲従分子は乱暴のかぎりをつくし、森下幸雄日中友好協会常任理事らが重傷を負いましたが、日中友好協会事務局員をはじめ支援団体員は、不当な暴力にたいして正当な防衛の権利を行使、かれらが会館内につくったバリケードを実力で排除するなど、断固としたたたかいをすすめました。中国留日学生や対外盲従分子の攻撃は、もともと自主的な民主団体の運営にたいする不当きわまる干渉であるだけでなく、これが特定の外国勢力と結びついておこなわれており、日本国民の立場からいって断固許し得ないものです。なおこの日、午後四時半ごろ現場には、廖承志東京弁事処孫平化首席代表が姿を現わしていました。

日中友好協会本部事務所の現場で応急手当をうける森下常任理事(2日午前9時すぎ)

森下常任
理事ら
十数人が重軽傷

 

三月二日

 暴力分子は、二日午前七時ごろ三たび日中友好協会本部事務所を襲撃、この卑劣な攻撃から日中友好協会をまもろうとして事務所入口でスクラムを組んでいた事務局員らになぐる、けるの暴行をくわえ、バケツでなんばいも水をあびせ、一人で便所に行こうとした森下幸雄日中友好協会常任理事(三六)をとりかこみよってたかって暴行を働き、右上眼瞼裂傷幅五、深さ八ミリ、皮下組織まで達する全治三週間の重傷を負わせました。森下常任理事はこのあと急報でかけつけた代々木病院の医師によって現場で応急の手当をうけました。暴力分子は、森下氏が代々木病院へ入院するため担送されて同会館を出ようとするのにたいしても、玄関口で口ぎたなくののしりました。

 なお森下氏のほか民青同盟中央地区副委員長江森利勝氏(二九)と民青新聞中央分局長中村純一氏(二四)も同日午後やはり暴行をうけて代々木病院に入院、治療をうけています。江森氏は右の肩胛骨部をうしろから棒のようなものでなぐられてはれあがり、右腕がしびれて動かすことができず全治二週間。中村氏は右眼下の顔面が長さ五センチ幅一・五センチ、深さ一・五センチの弁状にえぐられており、全治一ヶ月です。

 この日、中国学生たちは午前十一時すぎから、会館内で毛沢東の肖像をかかげて集会をひらき、毛沢東語録をいっせいに朗読したあと「日共は修正主義に転落した」「おまえらは帰れ、帰れ」と支援の労組員や協会員にわめきちらすなど、「紅衛兵」さながらの姿をさらけだしました。

 また、かれらは午後一時四十五分ごろ協会本部入口廊下前で、弁当の差し入れを要求していた支援の人たち約五十人にふたたびおそいかかり、水をかけたり棒でなぐるなどの暴行をくわえ、ドアのガラスを割って乱暴のかぎりをつくしました。しかし支援の人びとはこれにひるまず反撃し、かれらを一歩も本部内にふみいらせずおいかえしました。

 さらに中国学生たちは、日中学院の机などを持ち出して、本部入口前にバリケードをきずき、これをとりのぞこうとする防衛隊にたいしホースで水をかけたり、棒で突いたり、器物を投げたりの暴行を二時間にわたって加えてきました。そのため、防衛隊の十数人は重軽傷を負い、本部内は火事場のように水びたしとなりました。この間、機動隊は中国学生の暴行をとめないばかりか、防衛にかけつけた人たちが内部にはいるのを阻止しつづけました。

 しかし午後四時前、防衛隊は正当防衛の権利を断固行使し、バリケードをとりのけ、中国学生を押し出しました。一方機動隊は会館理事会の決定だといって会館を原状に復することを約束しました。しかし同日夜も青年を中心に約百人の防衛隊が本部内にがんばって防衛をつづけました。

 午後七時から本部内で報告集会をひらき、坂本修弁護士が仮処分が決定されたことを伝え、共産党岩間正男参院議員が「団結をかためて対外盲従分子を粉砕しよう」と激励しました。このあと、日中友好協会笠原千鶴会長が支援に感謝するとともに、「日本人民の立場に立った自主、平等、相互の内政不干渉、の真の日中友好運動をすすめよう」と決意をのべました。

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中央実行委 あす抗議の全都集会
不当干渉、対外盲従分子粉砕へ

妨害排除の仮処分
東京地裁が申請を認める

 日中友好協会は中国留日学生らの不法本部占拠の策謀を実力で粉砕するとともに、東京地裁にたいし「本部の占有使用妨害排除」の仮処分申請をしていましたが、東京地裁は二日午後これを全面的に認める決定をおこないました。
 これによって、日中友好協会が同本部を使用し、自由に出入することにたいする妨害は排除されることになります。

心配なのは脳内出血
森下常任理事の手当てにあたっ
た代々木病院の坂素行医師談

 森下さんの傷はげんこつでなぐられたようなものとは思えない。傷あとは一生残ります。心配なのは脳内出血があるのではないかということです。慢性の脳内出血の場合は一週間から十日くらい、脳症状がどうでるかよく観察する必要があります。これは生命にもかかわる問題です。かれらのやっていることはなんともいいようもない卑劣な行為です。全力をつくして治療にあたるということで、日中友好協会のみなさんのたたかいに参加したい。

 安保破棄・諸要求貫徹中央実行委員会の「日中友好協会の自主的活動を支援する緊急民主団体代表者会議」は、二日午後六時半東京・千代田区教育会館でひらかれ、国公共闘、全港建、東水労、全建労、機関紙印刷労組、全商工、全生連、農村労組、婦団連、大学生協など四十三団体の代表が参加しました。会議では、日中友好協会の石川賢作常任理事が中国留日学生と対外盲従分子らの暴行について経過を報告、日中貿促労組の佐藤信義氏と亜細亜通信労組の篠原則省氏が闘争経過と決意を表明、激励の拍手をうけました。

 会議は次の行動計画を承認したあと、日中友好協会へ激励に向かいました。

 ▽行動計画=@日中友好協会と日中貿促労組、亜細亜通信労組への支援体制をつよめ、緊急動員要請に応じられるようにする。各労組、団体は激励打電などを積極的におこなうAそのため、各団体では問題の真相と本質についての宣伝を強化するB三月四日(土)午後六時から「日中友好協会支援、日本の民主運動にたいする暴力と不当干渉抗議、対外盲従分子粉砕全都集会」を五千人規模でひらく。<会場は文京区文京公会堂よこ礫(れき)川公園を交渉中>


三月一日

 既報、一日夜、日中友好協会にたいする襲撃をきいてかけつけた共産党の松本善明衆議院議員、川村千秋、茶山克巳、山崎良一、大沢三郎都議、小島成一法律事務所の弁護士たちは、警察の責任者の抗議し、「日中友好協会を監禁している暴徒こそ解散させるべきだ、かれらのうち外部からきているものはすぐ建物からだし、会館内の留学生はただちに四階のかれらの部屋にあげさせろ。そうしなければ、支援の人びととしては解散できない」と要求しましたが、警察側は午前零時五十五分一方的に支援の人びとに解散命令をだし、実力排除の体制にはいりました。

 これにたいし警官の解散要求に抗議した支援の人たちは、事務所内にとじこめられている人たちを激励して整然と引きあげ、別の場所で夜を徹して暴力分子の襲撃から日中友好協会をまもるため待機しました。

 なお、この日の襲撃には、宮崎、三好、長谷川、坂田、光岡ら日中友好協会を脱走した対外盲従分子が中国留日学生らといっしょになって暴行を働きました。

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日中友
好協会
脱走派内に「造反団」
外国の物まねして
共産党と
協会本部に
一ヶ月前から襲撃計画


 日中友好協会を脱走した分裂主義者の一部は、かれら自身の分裂組織の内部でも外国のものまねをして、「造反団」なるもの(光岡玄が中心といわれる)つくり、「造反団ニュース」を発行し「むほんには道理がある(造反有理)」として、宮崎世民、岩村三千夫、三好一ら日中友好協会からの脱走分子の中心人物を「実権派」とよんでさかんに攻撃しています。そして、その攻撃は日本共産党との闘争が弱いという攻撃であり、さらに徹底した日本共産党攻撃を要求しているものです。かれらはその「造反団ニュース」のなかで、とくに「武器を敵に渡すな、善隣会館放棄について」と題し、宮崎らは「善隣学生会館内の日中友好協会本部を放棄した」として攻撃し、「在日華僑は同会館をとりもどすために立ち上がっている。きみたちは何をしているか。大胆に奪還闘争の先頭に立て……」と日中友好協会の襲撃をよびかけています。この「造反団ニュース」は二月二十八日以来の日中友好協会本部襲撃が計画的におこなわれたものであることをみずから暴露したものです。

 「造反団ニュース」第一号によると、いわゆる「造反団」は一月二十一、二十二の両日ひらかれた日中友好協会脱走分子の分裂組織の「第十六回拡大常任理事界」と称する会議で、「執行部」にたいする痛烈な批判が出て、そこでつくることがきまったとしています。

 「造反団」はそのあとすぐに第一回会合をひらき、つづいて二十四日に第二回会合をひらいて、分裂組織の「執行部」と「事務局」のあやまりを過去一年にさかのぼって総点検し、これにたいして文書で回答させることや、「造反団ニュース」を発行することをきめて行動を開始しました。これにたいして、いわゆる「実権派」とよばれている側の「執行部」は「造反団という名前はよくない」から分裂組織を「よくする会」という名前にしてくれと泣きをいれてきたと、かれらの内部矛盾をも暴露しています。

 こうして「造反団ニュース」は、毎号さかんに「本部実権派批判」をやっており、そのなかで脱走分子の実態と腐敗振りの一部もあきらかになるという皮肉な結果も出ています。(「造反団ニュース」第三号などによれば、この「本部」攻撃には、分裂組織の「藤沢支部結成準備会」「葛飾支部」「世田谷支部」等々と称するものも参加しており、分裂組織の破壊活動のはげしさとともに、その混乱をしめしています)

 たとえば第一号は、「だんなぶった仕事のしかた」として、「執行部」が夜になると差し入れの酒で酒もりをおこない、一升ビンをかたわらにおいて原稿を書いていること、宮崎世民は「おれの机には電話がない」と不機げんだったこと、三好一は「役員にはヒジつきのデラックスなイスがいいな」といったなどと暴露してます。

 第二号では、「本部役員の訪中は役得か」という記事をのせて、「分裂直後のもっとも重要な時期に」、宮崎、岩村、三好の「重要ポスト」をしめる連中が「本部」をるすにしてつぎつぎ中国を訪問したことを攻撃し、また「だれも知らない協会財政」と題して「ふしぎなのは、財政がどうなっているのか、……執行部は説明をしようともしていない。……あの立派なビル(注=いま、かれらがはいっているビルのこと)の家賃はどうなっているのか。……三好事務局長は『金づる』をにぎって、そのルートは常務会でも知らないという」といった実態も暴露しています。

 これは、日中友好協会を脱走した分子たちが、だれにもあきらかにできない特殊ルートの金で動きまわり、夜はどこからかおくられてくる差入れの酒で酒もりをしながら分裂破壊活動をやっている姿をあざやかにえがき出しているものです。こうした腐敗した姿は日本人民のはなれたものの本質を暴露するものです。

 そして「造反団ニュース」は脱走分子の中心分子であるいわゆる実権派に向って「代々木と決別したことには敬意を表する」と激励しながら、日本共産党とのたたかいが弱いとか、日本共産党とたたかうことを恐れていると攻撃し、かれらに過去にさかのぼって「代々木の具体的指導をあきらかにし、反中国の実態を人民の前に暴露するたたかいの先頭に立つことを要求する」といっそう党破壊の活動にはげむようけしかけています。

 また第二号では、彼らの「事務所」がダラダラと遅刻してでてきて、お茶を飲んで、仕事をはじめるのは十時近い」と攻撃していますが、そこでいっていることは「日中友好の妨害者、宮本修正主義一派と闘争するのなら、全員が八時半までには出て、キッパリ三十分で朝の打合せをおわらせ、九時から活動開始というキビキビしたたたかう体制こそ必要だ」といっていますが、これこそこの分裂組織が看板には「日中友好」などとかかげながら、事実は、ただ日本共産党の破壊を目的とし「活動」のすべてとしているひとにぎりの徒党にほかならないことをあきらかにしています。

 ところで、「造反団」が宮崎、三好らにたいしてもっとも攻撃を集中している点は、日中友好協会からかれらが脱走するにあたって、善隣学生会館内の日中友好協会本部事務所を放棄したことです。「造反団ニュース」の第一号は、戦術上「移転が妥当だったとしても文化資材だけはもってにげるべきだった」と強調し、さらに「きみたちの放棄した会館が日中友好の妨害者に占拠され、さまざまな悪事をかさねるかれらの拠点になっている」などといい、冒頭でのべたように在日華僑といっしょになって、「奪還闘争の先頭に立て」と要求しています。こうして「造反団」は在日中国学生などとむすんで、すでに一ヵ月以上も前からおしすすめてきた日中友好協会本部の襲撃計画を日中友好協会第十六回大会の成功と時期を同じくして、いよいよ実際行動に移してきたのです。

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日本人民への最大の侮辱
手段選ばぬ暴力に怒りの声

 中国留日学生らの卑劣な日中友好協会にたいする攻撃をその目でみ、またかれらによって暴行をうけた人たちはこのような暴力にたいしては断固として反撃し、糾弾すると怒りの声をあげています。


計画的で卑劣なやみ打ち
日本共産党東京中部地
区委員会法規対策部長
綱島英高氏

 暴徒と化した一部分子が路上にピケをはり、日中友好協会本部との連絡を妨害していました。わたしが「通せ」というと、通すように見せかけて、前後を取り囲み、こづいたり、急所をねらって足げにするなどの暴力を加えました。暴行を避けようとすると中華書店の陳社長らが足をかけました。このためわたしは転倒させられて右ひざ頭に打撲傷を負いました。

 これは計画的に日中友好を破壊しようとする卑劣なやみ討ち行為です。

 このような不法な暴力を東京でやらせておくわけにはいきません。かれらの行為は、日本の民主勢力と日中友好を破壊するものとしてきびしく非難しなければなりません。


「紅衛兵」は日本では通用しない
金属労働者

 私は日中友好協会の会員ですが協会本部が襲撃されているという知らせをうけてかけつけましたがなかにはいれませんでした。組織を割って出ていったものが、中国人学生といっしょになり、また暴力でとりもどしにくるというような暴挙は絶対にゆるせません。

 「紅衛兵」のようなことを日本でやろうとしてもそんなことは通用しません。私は日中友好を妨害しているものがだれであるか、はっきり自分の目でたしかめました。私は真の日中友好のためこんごも努力する決意です。(二十四歳)


絶対にゆるせない暴挙
金属労働者

 中国留日学生、対外盲従分子らの手段をえらばぬ暴力行為にはげしい怒りをおぼえます。かれらは「お前らは蒋介石と仲良くしろ、中国人を何人虐殺した」などまったくいわれのないことをいって挑発してきましたが、これは中国との友好をねがい、日本がふたたび中国を侵略しないために、十数年間たたかい、こんどの十六回大会でも「日中不再戦」の宣言をおこなった日中友好協会や日本人民にたいする最大の侮辱であり、われわれは絶対にゆるすことができません。

 われわれは、日本人民のもろもろの運動にまで、自分の考えをおしつけようとする外国の大国主義的なやり方に反対して、あくまで自主独立の立場を高く守って、日中友好運動の発展のために努力します。(二十歳)


思想を誤った者の哀れな姿
事務労働者

 私は日中友好協会前の路上でわめきちらしている中国人の留学生(本人がそういっていた)を目撃しました。私は社会主義中国の人たちは礼儀正しいと聞いていましたが、その学生の態度や悪ばを聞いたとき、いままでどんな正しいことをしてきても、思想をあやまればあんなになってしまうのかということをこの中国人の留学生をみて知らされた感じです。(三十歳)


訂正  二日付「反党盲従分子、昨夜も再び襲撃」の記事のうち四段目最初の一行「盲従分子を排除するだけでなく」とあるのは「盲従分子を排除しようとしないばかりか」の誤りでした。

(赤旗1967年3月3日)

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