1967年3月2日の赤旗紙の1面に掲載された善隣学生会館事件関係の記事を紹介します。3月2日付の赤旗の一面には、華僑学生が日中友好協会を襲撃したという記事が載せられていますが、これは3月2日午後4時ごろの大流血事件がおこる前の記事です。
2000年9月6日 猛獣文士

中国留日学生 日中友好協会に卑劣な攻撃

深夜、事務所を襲い暴行
協会員ら攻撃を排除
支援労働者とともに 本部を守りぬく


 第十六回日本中国友好協会大会が大きな成果をあげて閉幕した翌々日の二月二十八日午後十一時すぎ、大会残務整理のため本部の警備体制が弱くなっているすきをねらって、東京都文京区後楽善隣学生会館内にある日本中国友好協会本部事務所に同会館内に住んでいる中国留日学生後楽寮自治会の中国学生十数人が押しかけ、かれらが同会館内にはりだした日中友好協会攻撃の壁新聞を日中友好協会員が破ったと因縁をつけて日中友好協会を攻撃しました。かれらは事務所侵入をはかったあげく同会館入口にすわりこんで夜どおし日中友好協会に卑劣な攻撃をおこないました。日中友好協会事務局は、連絡をつけてかけつけた千代田、文京、新宿など各区の日中友好協会会員約六十名の支援のもとに、不当な攻撃を排除し、日中友好協会本部の防御に当たりました。

日中友好協会本部を襲撃した中国学生たち(2月28日夜)

 日中友好協会事務所のある善隣学生会館には宮崎世民、三好一ら分裂主義者が脱走した昨年十一月以来同会館内にいる中国学生による日中友好協会攻撃の壁新聞がくりかえしはり出されてきました。とくに日中友好協会第十六回大会の前日にあたる二月二十四日、同会館内の日中会議室で映画会がひらかれたときには、同学生ら約十五人は、同会館の玄関から映画会場にかけて、日中友好協会を「犬の頭」「修正主義者」「反中国分子」など口ぎたなくののしった三、四十枚のビラをはりだしたり会場を案内する矢印を反対につけたポスターをはったりし、さらに玄関正面にたむろして、「反中国分子のやる映画をみるな」「修正主義者のやる映画界に参加するな」などとわめくなど、妨害といやがらせをおこないました。

 しかもかれらは、「中国人はいるべからず、日中友好協会」という日中友好協会の名をかたった悪質な挑発文書まではりだしました。

 日中友好協会本部は、同協会を攻撃する文書にたいしては、会館管理者を通じて除去を求め、節度ある態度をとってきましたが、日中友好協会の名前をかたった挑発文書は断固として除去し、後楽寮自治会にたいし、絶対に許せない行為として抗議し、謝罪を要求しました。中国人学生たちもこのことについては悪かったことは認めました。

 ところがこのあと、中国人学生たちは、かれらがはりだした他の日中友好協会攻撃のビラがだれかにはがされたのを「日中友好協会がはいだ」と因縁をつけつづけました。

 かれらは、二月二十六日にはふたたび新しい日中友好協会攻撃のビラをはりだし、日中友好協会本部事務所のトビラにまでこれをはりつけました。さらに二十七日の朝には会館玄関正面に「偽『日中友好協会』に抗議する」と題し、日中友好協会を「大うそつき」「卑劣漢」とば倒する大きな壁新聞をはり出し、日中友好協会を「即刻会館から出ていけ」と攻撃してきました。

 ところが二十八日午後十一時すぎになって十数人の中国人学生が日中友好協会本部事務所に押しよせ、トビラをどんどんたたき、かれらが二十七日にはりだした壁新聞について「お前らが破った」と因縁をつけて攻撃し、トビラをあけて中に押し入ろうとしました。いあわせた五人の日中友好協会本部員は、かれらの侵入を拒否して本部事務所を防衛しました。

 本部員の小山慎平氏は「おれが話をするから」といって話し合おうとしましたが、かれらは小山氏をとりかこんで脅迫しました。さらにかれらは、本部員をなぐったり、ひっかいたり、眼鏡をこわしたりしましたが、日中友好協会本部員は断固事務所を守り抜きました。

 そのうち中国学生側は、会館外からやってきたのもふくめて三十人ぐらいになり、そのうち約十人は夜どおし会館玄関にすわりこんで日中友好協会にたいする攻撃をおこない、会員が便所にいくのを集団で妨害したり、現場の写真をとった会員の写真機をたたきこわしたりしました。この間、連絡をうけた会員約六十人が本部防衛にかけつけ、中国人学生を圧倒し、本部事務所には手出しもさせませんでした。

 中国学生は一日の明け方になって引き揚げましたが、このあと一日午前十時半ごろから電話で「きみたちがいまやっていることは日本軍国主義がかつて中国でやったことと同じだ」「われわれは命をかけても日中友好協会を会館から追い出すぞ」「死ぬまでやるからな」などといった中国人による脅迫電話がかかっています。

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反党盲従分子 昨夜も再び攻撃
労組員ら五百人が反撃

 一日午後六時ごろ日中友好協会の脱走分子国際貿促の盲従分子、華僑など合わせて約百名は、前夜にひきつづいて日中友好協会本部(善隣会館内)を襲撃してきました。

 かれらは、日中友好協会事務所内で仕事をしていた橋爪利次事務局長など十八名の事務局員を表口と裏口に立ちふさがってかん詰めにし、電源を切り、外からガラス戸を割るなどの暴行を働きました。

 この暴行の知らせを聞いて都内の労組員、民主団体員、学生などがぞくぞく応援にかけつけて、その数は約五百名に達しました。

 脱走、盲従分子らは「代々木にかえれ」「宮本をよんでこい」などの口ぎたない中傷と暴言をはき、支援にかけつけた人びとを挑発、支援の人たちはスクラムを組んでかれらと対じしました。

 一方、午後十時すぎ、警視庁機動隊が現場にきましたが、脱走、盲従分子を排除するだけでなく、玄関にかけつけた人びとに「無届集会」だとして解散を要求しました。午後十時現在、支援にかけつけた人びとは「日中友好協会をまもろう」「ベトナム人民支援をつよめよう」と力づよく唱和、警官の解散要求に抗議しました。

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真の友好を破壊する暴挙は断じて許せぬ
日中友好協会が声明発表

 日中友好協会は一日、日中友好協会本部にたいする暴力行為について、つぎの声明を発表しました。

 二月二十八日夜十一時ごろ、日中友好協会本部へ中国留日学生寮自治会の学生たち十余名がおしかけ、協会本部のある善隣学生会館の玄関にはった壁新聞を当協会の事務局員が破棄したといいはって協会事務所内に押し入ろうとし、事務局員が拒否すると、なおも責任者を出せと強要し、小山事務局員を全員でとりかこんで、破棄したことを認め謝罪せよと脅迫した。

 この壁新聞なるものは、日中友好協会本部や後楽寮のある善隣学生会館にはり出されていたもので、すでに昨年十一月から数回にわたってはりかえられていた。その内容は、わが協会を「偽の日中友好協会」「反中国」「犬の頭」「ただちに会館から立ち去るように警告する」というものであり、十七年間にわたって日中友好と国交回復実現のために努力をつづけてきたわが協会の全会員を侮辱し、日本の大衆運動に重大な干渉を加えたものであった。この日、壁新聞はすでに風にあふられて破れていたのであり、事務局員が破ったというのはまったくのいいがかりにすぎない。

 深夜わずか数名しか残っていない事務局に多数で押しかけ、侵入を阻止しようとした小山事務局員の眼鏡をこわし、さらに長時間にわたってつるしあげ、このような暴状を写真にとろうとしたものにたいしては、多数でおそいかかって写真機を強奪しようとし、フラッシュをたたきこわすなど、暴行のかぎりをつくした。

 日本の首都において、伝統あるわが日中友好協会本部にたいして、このような暴挙がおこなわれたということは、国際的儀礼からしてもあり得べからざることである。かれらのこのような行為が計画的な暴行であることは、すでに二十五日の夜、会館内に「人民の敵」「反中国分子の犬の頭をたたき割れ」などというビラをはりめぐらしていたことからも明らかであり、ここ二、三ヶ月来、日中貿易促進会の労働組合や亜細亜通信社の労働組合に加えられた暴力的な民主団体破壊の一環であることは明白である。

 わが協会は、さる二月二十五、二十六の両日、東京において第十六回全国大会を開き、緊迫した情勢に対応して、日中国交回復運動を中心とする諸方針をきめ、米日反動勢力による中国敵視政策や日本の軍国主義化とたたかって、自主、平等、内部問題への相互不干渉の原則にもとづく真の日中両国人民の友好をうちたてることを決定した。

 このような協会にたいする暴力行為は、日中両国人民の真の友好を破壊するきわめて悪質な行為であった、断じて許すことはできない。わが協会は、日本人民の自主的運動へのこのような不法きわまる攻撃と干渉にたいしては、自己の正当な権利をまもり断固これを粉砕することためあらゆる必要な手段を講ずることをここに声明する。

(赤旗1967年3月2日)

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