ものごとの正しい状態ないし認識を表す場合に、真実、真理、事実などという言葉が使用されます。真理というのは、いくぶん抽象的に、ものごとの奥底を深く見通して、正しい道理を見極めるというような深い語感があり、それとは対照的に事実というのは、やや表面的で事務的な意味での正確な現象、事象、事象系列の把握、認識あるいは記述に関するような言葉という意味合いがあるでしょう。真実というのは、真理と事実の中間くらいに位置する概念のように思えます。
このような語感は私個人のものであって、世間一般に理解されているものがそれに一致するかどうかは分かりません。また、これとは異なる意味合いでこれらの言葉を受け留め、使用している人もいるかもしれません。
たとえば、俳人松尾芭蕉が東北地方を旅しながら記した俳諧紀行「奥の細道」の記述は、同行した門人の残した日記の記録と照らし合わせてみたとき、実際の旅行の日程などをかなり逸脱して、虚構ともいえる描き方をしているというのは、よく知られています。この場合、松尾芭蕉は真実を書いたのであり、門人の残した旅日記は事実を記したものであると語った古典の教師を思い出します。
力強い表現として、「真理は一つである」などと言われることがあります。たとえば、天文学者のガリレオがキリスト教の教会に地動説を放棄するよう要求されたときに、「それでも地球は回っている」とつぶやいたというような逸話があります。しかし、二つの真実が争われている、あるいは争われていたときに、そのどちらが真実で、どちらが誤っているのか、いたのかが、ガリレオとカトリック教会の対比のように明白に、あるいは明白そうに見える事例というのは、全体の事例から見てごく少数であるといえます。
歴史上の事件について、その評価のみならず事実関係の認識について複数の見解または主張があるということは、単純に考えれば異常なことのように思えますが、実は非常にありふれた事なのかもしれません。
「真理は一つ」のまったく逆の命題として、「複数の真理がある」というという考え方があります。人々の世界観をひどく複雑化してしまうことを要求するこの厄介な命題は、私の解釈によれば、真理、真実であろうと事実であろうと、およそ正しいものごとというのは、人間のある意味で主観的な認識過程を一度通した後でなければ、実体を持ち得ないという、誰にも否定することができない事情をその根拠としているようです。異なる立場の人々がいる場合、それぞれの正義があり、それぞれの真理があります。人々が関与するすべての事象は、その人々の真理に照らして解釈され、評価されるのであり、複数の立場の人々が関与した事件については、複数の真実が存在します。極端な場合、ある固定的な事件の単純な事実関係でさえも一つではないという場合があります。しかし、複数の正義、複数の真理の存在は認めることができるとしても、複数の事実関係の存在を簡単に認めることはできません。
もし人間が、実際に起こった事件の事実関係を客観的に認識する能力がなく、複数のもっともらしい事実関係を列挙することができるに過ぎないとした場合、人間社会はこの無能力の故に多くの前提を放棄する必要に直面します。ごく、控えめにみても、我々は少なくとも、犯罪を法に照らして処罰する能力、歴史と神話を区別する能力を失うことになるでしょう。物事に対する正しい認識、理解を人間が得ることができるという確信は、人間のその他の社会的、個人的行為の前提になるものであり、そのような確信を少しでも信頼できるもっともらしいものとして獲得することは、人間が多くの労力と時間を割いてでも実現する価値のあることです。
1967年2月28日から同年3月2日にかけて、東京都文京区後楽にある善隣学生会館(現日中友好会館)である事件が発生しました。このホームページの作成者かつ管理者である私(猛獣文士)は、この事件の発生した3月2日より少し遅れて、善隣学生会館の「闘い」に、一方の当事者の立場から参加したものです。したがって、私はこの事件について一方の当事者から事情の説明を受け、事件の事実関係の認識はもちろんのこと、政策的な意味での理解についてもその当事者の側の見解を正しいものと思いました。この理解は、それ以後、事件発生後30年以上を経過した今日まで、変っていません。ところが最近、この事件のもう一方の当事者が、私の理解とはまったく正反対の見解を、理論的、政策的な意味でだけでなく、単純な事件の事実関係についても継続して主張し続けていることをしり、大変、興味を持ちました。私がくみしていたほうの当事者は、元来、日本におけるマイノリティーであり、その主張を30年間にわたって広範に宣伝し続けてきてはいません。したがって、現在では、この事件について、片方の側の見解だけが継続してさまざまな出版物上で繰り返し主張されている状態になっています。
出版物のみでこの事件を知った後の世代の人たちは、その一方の主張を通してこの事件を理解するのであるから、それに近い認識をすることでしょう。私自身、30年以上も前に起きたこの小さな事件について、どちらが正しかったのかということをむきになって争う意欲はなくなっています。しかし、私がかつて信じていたことが、基本的に反証となる事実が発生しないまま、単に年月が経過した故に誤りになったというのは、どうにも不合理極まりない話です。あるいは、単に反対側の当事者がその当時からの主張を継続して宣伝してきたことのゆえに、その主張が正しいものになったと考えることもできません。
そこで、私は現在利用できる資料等から、1967年に起こった善隣学生会館事件の真相をどれだけ正確に検証することができるのかを試してみたくなりました。そのためには、まず、自分自身の先入観を捨てる必要があります。私自身、事件の直後ともいえる時期に善隣学生会館に行っていましたが、実際に事件が起こったのを直接目撃したわけではありません。いずれにしろ、ある事件の真相を調査するときに、はじめからある定められた結果を予測しているのでは、調査にはなりません。
私は、この調査で得られる結果として、三通りのケースを予測しています。第一のケースは、私が信じていた方の見解が正しく、対立する当事者の見解が偽りである場合です。第二のケースは、その反対で、私の信じていた当事者の見解が偽りであり、対立する当事者の主張が正しい場合です。そして、第三のケースは、この事件のような単純な事実関係においても、両方の当事者の主張ごとに、複数の真実が存在することがありうる場合です。
上記の三通りのケースのいずれかまたはそれ以外のケースのどのような結果が得られるにしろ、その探求は非常に面白いものであり、また得られた結果からは、さらに副次的な事実や真理が与えられるはずです。このホームページは、上記のような私の探求を皆様に公開し、その成果を共有しながら、善隣学生会館事件の意味、および小さな出来事に対する認識の社会的形成過程の観察、それに関わった人々の姿の多方面からの観察を獲得していこうとするものです。
2000年7月25日
猛獣文士