猛獣文士の前書き

 中国研究所発行中国研究月報1967年3月号に掲載されている光岡玄氏の「善隣学生会館流血事件の意味するもの」という論文は、三十数年間の時間を超えて、私に善隣学生会館事件をよみがえらせてくれた論文です。俗な言い方をするならば、またこの論文は私を青春の日々に戻してくれたものでもあるのかもしれません。

 自分自身の正直な主張、姿を外に表現しようというおのれの欲求を、数十年間にわたってどこかで抑制してきた現在の自己に対して、この論文はそのような抑制を取り除き、本来自分が持っている疑問、意欲などに対する率直な自己点検、自己表明を行ってみようとする小さな勇気を与えてくれたものです。

 この論文によって、何か自己の原点に沿った表現を公表しようと思い、このホームページを製作したとき、光岡氏の論文がそのホームページの最初の記事になったのは、当然のなりゆきでした。

 しかし、このような、内面的にあまりにも明白な契機は、他者にとっても非常に理解しやすいものであるはずであるという私の直感的な認識は、正しいものではなかったようです。中国研究所殿に軽い気持ちで依頼した、この論文の掲載許可は、同研究所理事会への正式な依頼という過程を通すことになり、掲載はその理事会の決定によって拒絶されることになりました。

 その後、光岡氏への直接の掲載許可をいただけるよう、継続して努力を重ねてきましたが、さいわいなことに、2002年5月17日付けで、光岡氏の論文掲載許可をいただきました。この許可についての私の感謝と喜びは、言葉では表せないものです。

 このような経過の後、光岡氏の論文の掲載を再開することになりました。あわせて、論文掲載を一時見合わせ、本日再開するまでの記録を、本ホームページに残して置きたいと思います。

2002年5月22日 猛獣文士


光岡玄氏の「善隣学生会館流血事件の意味するもの」の掲載の見合わせと再開までの経過
光岡玄「善隣学生会館流血事件の意味するもの」(中国研究所「中国研究月報1967年3月号」より)

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