[金融情勢]

「次期日銀総裁人事の条件―高橋洋一」(2/2) ***

安倍首相が金融緩和を中心としたアベノミクスをスタートさせてから約5年が経過した。安倍首相が金融緩和などによるデフレ脱却を主張するリフレ派にどのようにしてなったのか。首相の国会答弁によれば、山本幸三衆院議員、イエール大の浜田名誉教授と筆者に教えてもらったという。

この発言の背景を説明しよう。小泉政権末期の06年3月、福井総裁時代の日銀が、01年3月から実施してきた量的緩和策を解除したのだ。量的緩和策の先駆者は先進国でいち早くデフレに陥った日本だった。デフレ解消の策として速水総裁時代の01年3月から実施された。当時の日銀の量的緩和策の問題点は、量の面で不十分だったことだ。しかし、量的緩和そのものに反対している学者やマスコミが多かったこともあり、日銀は06年3月に解除してしまった。筆者は、これを批判し、デフレ脱却が遠のくことを予測したが、不幸にも的中した。これが明らかになってきたのは、第一次安倍政権になってからだ。形式的なインフレ率が0.5%とすると、物価指数の上方バイアスを考えれば、物価はマイナス0.1%というデフレ状態なのに金融引き締めをしてしまったからだ。

この事情をよく覚えていたのが、当時官房長官だった安倍首相だ。2度目の首相登板の後にも「06年の量的緩和の解除は時期尚早で失敗だった」と話している。失敗を踏まえて、2%のインフレ目標を明確に導入したアベノミクスを作ったのだ。

金融政策の方法はシンプルだ。これ以上下げられない失業率、つまりNAIRU(インフレ率を加速させない失業率)を推計する。これを達成するための最低限のインフレ率をインフレ目標とする。後は、実際のインフレ率がインフレ目標より低ければ金融緩和、高ければ金融引き締めである。

安倍首相はこの単純なメカニズムを知っている。これを完璧に理解し正確に実践できる人であれば、金融政策のドライバーになれるはずだ(参考文献:信濃毎日新聞)。