「いわゆる善隣学生会館事件を批評する」を掲載したときに私が書いた前書きの原文。
2003年2月17日 猛獣文士

 1967年5月15日付で発行されているこのパンフレットは、当時の日本共産党『赤旗』の善隣学生会館事件に関する報道を、詳細に分析して、さまざまな矛盾点を明快に指摘しています。このパンフレットの一部は、本サイトで公表している寺尾五郎「日中不戦の思想」の第一章にも引用されています。現在のところ、このパンフレットの分析に対する日本共産党側の効果的な反論を記した資料は見られません。

 日本共産党が「防衛隊」と称するゲバ部隊を先に動員し、そのゲバ部隊がヘルメットと棍棒などで武装して、少なくとも衝突のその時点では素手の中国人学生および日本人の支援者に襲い掛かり、負傷させたことは、事実であるとしか考えられません。

 単なる事実関係についての疑問として残っているのは、以下の二点であると思われます。

【丸太による協会事務室のドアへの攻撃はあったのか】
 日本共産党側の資料で主張されている、華僑学生側が大きな丸太で協会事務室のドアをどんどんと突いたので、ドアが曲がってしまったという事実は、本当にあったのか、確認できません。このような事実があったとすれば、3月1日午後6時に華僑学生側が約150名で抗議集会を開き、抗議文を協会に渡しにいったときに、協会側が内側からバリケードをつくって、封鎖していたときから翌朝までの間のことと考えられます。

【協会裏口の封鎖はあったのか】
 日本共産党は、協会員が「監禁」されたという口実で、ゲバ部隊の「正当防衛」行動を合理化していますが、華僑学生側の資料では、華僑学生側は会館入り口と協会の入り口に、日中学院の机などをつんで、日本共産党の「暴徒」の挟撃を防ごうとしたとあります。特に、「日本と中国」四月三日号では、協会には裏口があり、その出入り口を協会員は自由に使用できたとしています。日本共産党側の資料では、確かに、3月7日付けの赤旗紙で掲載されている会館見取り図では表口の「バリケード」は記入されていますが、裏口のそれは描かれていません。ところが、その後の日本共産党側の資料では、このことがすばやく修正されています。とくに、橋爪利次氏の「体験的日中友好裏面史」では、非常に迫真的な描写で、いつの間にか裏口も封鎖され、紅衛兵化した華僑学生に包囲された「恐怖感」のような「体験」を「生々しく」語っています。

 現実的な問題として、日本共産党の動員部隊は少なくとも協会の窓から自由に出入りしていたという状態であったことも確かであると思われますが、裏口の封鎖があったか否かという問題は、日本共産党側が明確な虚偽を機関紙やその他の印刷物に掲載することがあったのかどうかという判断をするうえで重要であり、今後もその調査を継続したいと思います。

2002年11月21日 猛獣文士


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