「語学共闘」は善隣学生会館内に教室を置いていた中国語学校である「日中学院」の職員などが組織していた共闘会議的な組織だと思います。全共闘の時代を反映した命名感覚というべきでしょうか。1970年ころ出入国管理法案が上程され、在日外国人から反発の声が高まっていたときに、華僑の運動の内部にいろいろな問題が起こりました。

 今回紹介する文献は、華僑の運動にかかわる華僑内部の問題の発生を示唆するもので、また、そのような問題に対して日本人としてどのように考えるべきかをまとめています。戦後処理が適正に行われておらず、中国との間に国交すらなかった1970年という時点で、日本人からみて在日中国人は難しい存在だったものと推測されます。現在も、そのような難しい面はなくなってはいないと思いますが、今後、日本人にとって中国人が何でも言いあえる、気のおけない自然な存在になっていくことが望ましいと思います。

 また、朝鮮民主主義人民共和国という、いまだに国交のない明白に戦後処理を持ち越しているもうひとつの隣の民族について、この文献で確認されている日本人としての立場は参考になるのではないでしょうか。

2003年2月12日 猛獣文士

特集「日中学院にとって善隣学生会館とは何なのか」―― 5回 ――
緊急アピール


 3月24日、華僑青年闘争委の一青年が華僑内部の意見の異なる人びとから暴行をうけ、重傷を負ったことから、善隣学生会館を包んだ緊迫状態は、4月1日現在一応の小康状態を得たが、なお予断を許さぬものがある。在日華僑運動内部の対立について、われわれは一定の見解を持っているが、それをこの事態に関して一人称で直接に云々する立場にはない。言えることは、運動の内部矛盾が対立としてあらわれるのはよいことであり、対権力の十分な配慮のもとに正しく処理しさえすれば、この(事件)は必ず、華僑運動の結束と革命化を促すことになるであろうことだけである。

 問題は、これに対処する日本人の側にある。われわれは在日中国人をはじめとするすべての在日外国人との連帯を心から欲する。しかしそれはいかにして可能であろうか。

 一連の事態があらためてわれわれの前に突きつけてきたこの問題に関しての、すでにある、また予想される日本人の態度は、おおまかにいって四つある。

 第一は、全く無関心か、または強いて無関心を装う態度である。第二は、苦悶し口をつぐむ態度である。実際世の大抵のことは密やかな遺憾の裡に過ぎて行くのだ。第三は、対立の一方を指示するが、現実には何もしないとあらかじめ宣言する態度である。最後は、日本人と在日華僑との間に現実に存在する(国家の壁)を捨象しうるほどの他の規準 例えば「階級的」観点をもって連帯を言明し、事の次第によっては対立に暴力的に介入することを当然のこととする態度である。これらはいずれも一面的発想からする、無責任な態度だとわれわれは考える。

 さしあたって二点だけを、動かしえぬ原則として提案しておきたい。それは、第一に権力の導入を許さない。第二に日本人は中国人を殴らないということである。

 なぜ、第一に権力の導入を許さない、なのか。それは大学闘争の中で幾分とも陳腐になった決まり文句で、第一の原則になどなりえないのではないのか。一部の人びとのこうした意見は、華僑運動のこの対立をめぐる、具体的な情勢を理解していない点で間違っている。新入管法上程断念は、一方では支配階級の分裂がもたらしたものでもあるが、他方また現行入管令によるいっそう強圧的な刈り込みと裏腹なものであって、この点についてはいっそう慎重な構えが要請されているのである。勿論、われわれが闘う在日外国人に対し、もっと(穏健)であれなどとバカバカしくもよびかけることは、全くありえないことである。逆に、彼らの生存と闘争をいくらかでも援助するためにこそ、権力にたいしては力を尽くしてその襲撃を阻止しなければならず、善隣への警察力導入を阻止しなければならないのである。

 なぜ、第二に日本人は在日中国人を殴らない、なのか。われわれは革命的な在日中国人とは断乎連帯すべきであり、反動的な在日中国人は断乎殴るべきではないのだろうか。一部の人びとのこうした意見は、歴史の(くりかえしのつかなさ)にたいする、自らの主観の過大評価という点で間違っている。在日中国人との連帯とは何であろうか。われわれは強く連帯をのぞんで来たし、かつ華青闘をはじめとする一部の在日中国人との間に、反権力的方向をもった一定の共闘を組んでは来た。これは主として、67年3月の日共の善隣襲撃以後、(内政不干渉)の態度を捨てて日本の反権力闘争の一翼を担おうとしてきた革命的華僑青年の努力の結果であった。しかし、外録法その他によって、われわれと全く異なる重い日常を背負って、まさに日本近代の重みを直接に負って(国家の壁)の彼方に居る彼らと、われわれがカンパニアを組むことがはたしてどの程度の意味の連帯であろうか。

 いうまでもなくわれわれは、こうした共闘をおしすすめていかねばならない。しかし林景明氏の場合のように、「革命的でない」在日中国人の困難にたいしては無関心であってよいのだろうか。これからも起こって来るだろうこうした人びとへの弾圧にたいして、その救援をおしすすめることは人道主義として非難されるべきなのであろうか。そしてまた「革命的でない」在日外国人は殴ってもよいのであろうか。われわれは、(解放)といった諸々の名目をかかげて中国とアジアを恣に侵略・強奪して来た日本近代の歴史を忘れることができない。そしてまた、「民主運動を守る」といって華僑青年に暴行を加えた日共の善隣事件を忘れることができない。われわれがこの歴史の持続のうえにあり、そして自分の信ずる方向が革命的なのだとする思考様式をもち続ける限り、明日はどんな(革命派)がどんなに(革命的)な中国人暴行の歴史をつけ加えることであろうか。

 われわれがインターナショナルな連帯を追及していく過程において、(国家の壁)のむこうに国家権力と孤立無援でむきあっている在日外国人の生と死を選択することがいったい誰に、どんな(在日日本人)にできるというのであろうか。具体性によって、とりかえしのつかぬ歴史によって、裁かれねばならぬのはじつはこちらなのである。

 われわれは目をおおってはならないし、また安易な選択に安住してもならない。彼方の連帯を志向しつつ、現に生きてある在日中国人の困難の打開をなしうる限り援助し、自給的に入管体制を解体していかなくてはならない。

 1970年4月1日

語学共闘


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