[産業政策]

(1)コメ輸入へ極秘のレール(7/21) ***

戦後農政の大きな転換点となった新多角的貿易交渉ウルグアイ・ラウンド(1986〜94年)では、コメに関税をかけて輸入する関税化に農家の大反対が起こった。批判と交渉妥結の狭間に立たされた政権は、米国から持ちかけられた秘密交渉に命運を委ねる。妥結案は、細川政権のメンツを守る一方で、コメ輸入を容認するものだった。

93年12月、聖域だったコメ市場の一部開放を決める臨時閣議を終え、細川首相は固い表情で現れた。「コメの輸入に道を開くことは、この上なく苦しくつらくまさに断腸の思いの決断であり、完全国内自給を貫くことが出来ずまことに申し訳ない」。衆参両院はコメの自由化反対と自給堅持を求める決議を採択していた。細川首相は「決議の精神を尊重して最大限の努力をした。それなりの評価をして頂きたい」と語気を強めた。ウルグアイ・ラウンドで、日本はコメの輸入を受け入れるべきか否か。国論を二分した難題に結論を出したのが細川だった。

しかし、細川の首相就任前に、コメ開放へのレールを敷く極秘の交渉がすでに始まっていた。ウルグアイ・ラウンドは例外なき関税化を原則にしていた。日本はコメを例外とするように求めていたが、コメ輸出を狙う米国は首を縦に振らず、交渉は暗礁に乗り上げていた。妥協案は、日本がコメの関税化を先送りする代わりに、ミニマムアクセス(最低輸入量)による市場開放を受け入れることだった。年間輸入量は国内消費量の4%分に相当する42万6千トンから始め、6年目には8%相当の85万2千トンまで増やすとされた。

5年が経過した98年12月、小渕政権は、99年度からコメの関税化に踏み切ることを決めた。放っておけば拡大する一方のミニマムアクセスを、当初予定より軽減してもらうことと引き換えだった。

ミニマムアクセス米は、今も毎年76万7千トンの受け入れが続く。一方で、民間輸入は1キロ当たり341円(税率換算778%)の高い関税により、年間たった100〜200トンに抑えられている。

安倍政権は2013年7月、関税撤廃が原則の環太平洋連携協定(TPP)の交渉に踏み出した。米国に攻め込まれ、防戦一方の交渉を余儀なくされる構図はいまも変わっていない(参考資料:信濃毎日新聞)。