[人口の趨勢]
(1)止まらぬ少子化(8/25) ***
日本の人口は高度成長と共に増加を続け、1960年代に1億人を突破した。しかし、世界に類を見ないスピードで少子高齢化が進み、05年に初めて減少に転じた。社会保障制度の土台は揺らぎ、労働力不足は経済成長に暗い影を落とす。有効な対策が打てないまま、国の在り方を左右する難問へと発展した。
90年6月8日、津島厚生相は翌日公表する89年の人口動態統計に目を疑った。女性が生涯に産む子供の数とされる合計特殊出生率が1.57となり、過去最低の1.58(66年)を下回った。
終戦後、戦地からの復員をきっかけに起きた第一次ベビーブーム(47〜49年)では、出生率は4倍を超えた。この団塊の世代の出産による第二次ベビーブーム(71〜74年)では2以上になった。その後は横ばいで推移したが、84年から徐々に低下し始めた。団塊ジュニアの結婚適齢期が90年代に控えていたこともあり、第三次べびーブームが来ると見られていた。
しかし、水面下で若者のライフスタイルは大きく変化していた。25〜29歳の女性で結婚していない割合は、80年の24%から90年には40%に上昇し、少子化の要因である非婚・晩婚化が進んだのだ。
86年4月に男女雇用機会均等法が施行された。バブル経済の真っただ中で社会進出した女性たちは、男性と対等に張り合うようになる。適齢期になったら結婚して家庭に入るという伝統的な価値観は崩れた。
90年代の中心は高齢化対策だった。政府は、2000年に始まる介護保険の制度設計にも追われた。国会の関心は将来のことより、今生きている人をどうするかであった。少子化は介護や年金に比べ、圧倒的に優先順位が低かった。
そんな中、97年10月に厚生省人口問題審議会が画期的な報告書をまとめる。「わが国は未だ人類が経験したことがない少子・高齢化社会を迎えようとしている」。前文に続き、医療、年金、福祉など社会保障の負担増、経済成長率の低下など現在声高に叫ばれている課題を、すでに網羅していた。しかし、頼みの綱の政治家の関心は低く、予算獲得は思うようにならなかった。少子化は選挙で票にならなかったためである。
就職氷河期や雇用規制緩和でニートや非正規労働者が増え、未婚率はさらに上昇した。05年に初の少子化担当の専任大臣となった猪口邦子は、全国を行脚し対策の必要性を説いた。この年の出生率は最低の1.26を記録し、人口減少という新局面に入る。もはや少子化からだれも目を背けられなくなっていた。
出生率は06年に反転し、団塊ジュニアの駆け込み出産などで緩やかに上がっている。安倍政権は、50年後に人口1億人程度を維持するとの目標をはじめて打ち出した。だが、母親世代の人口は少なく、前途は険しい。国力衰退を阻止するための挑戦は始まったばかりだ(参考文献:信濃毎日新聞)。