[国内景気動向]
(1)景気、後退局面に(11/7) ***
内閣府によると、9月の景気動向指数(05年=100)は、景気の現状を示す一致指数が前月比2.3ポイント低下の91.2となり、6か月連続で低下した。欧州債務危機や新興国経済の成長鈍化などで、輸出が減少し、生産が落ち込んだ。内閣府は、基調判断を「足踏み」から「下方への局面変化を示している」と修正した。日本経済が景気後退局面に入った公算が大きいとの見方を示した。世界経済のさらなる下振れや日中関係の悪化などで、景気は一段と落ち込み、デフレ脱却が遠のく可能性が高い。政府、日銀は、景気対策を講じているが、今後もより大規模な景気刺激策を求められそうだ。
内閣府は、景気動向指数について「暫定的判断として、景気の山が9月の数カ月前にあり、景気がすでに後退局面に入った可能性が高い」とみている。日本経済は、リーマン・ショックを挟んだ08年3月〜09年3月に景気後退を経験した後、09年4月からは、東日本大震災による一時的落ち込みがあったものの、急速に持ち直し景気拡大が続いてきた。民間エコノミストの間では「今年3月が山で、4月以降は景気後退局面に入った」との見方が多い。
内閣府は、来月の一致指数が前月比マイナスになると、基調判断をさらに引き下げるとの見通しを示した(参考文献:信濃毎日新聞)。
[中国経済]
(1)中国、バブル崩壊深刻(11/4) ***
中国一の豊かな都市といわれた内モンゴル自治区オルドス市が、深刻なバブル崩壊に見舞われている。金融危機による内外需の低迷で、好景気を支えた石炭の価格が暴落し、高層ビルの建設ラッシュがにわかに止まり、巨大なゴーストタウンが出現している。
90年代まで貧しかったオルドスを豊かにしたのは、高度成長に伴う石炭価格の急騰だ。市政府や企業は炭鉱開発を加速し、農地と引き換えに巨額の補償金を手にした農民は、不動産投資にのめり込んだ。潤った財政を背景に、市政府も不動産開発を促進した。旧市街から南に20キロの荒野に突如、高層ビル街が出現した。開発が進む「カンバーシ新区」だ。しかし、完成したマンションの大半は空き室で、投資目的で買われたためだ。
石炭景気は金融危機で終わりを告げる。さらに中央政府が10年に打ち出した不動産取引規制が加わり、バブルは一気に崩壊した。
石炭,不動産に代わる新たな産業を興したい。市政府は、旧市街と新区との間の広大な土地を工業団地として造成し企業誘致に努めるが、道のりは厳しい。地元の自営業は「物価は高いし、流通も不便。労働者も集まらない」と悲観的だ。
問題はオルドスにとどまらない。中国紙の調査によると、中国の平均住宅価格を年間所得で割った「住宅価格・所得比」は8倍を超え、日本のバブル期に近づいている。全土の空き家率は30%前後で推移している。米国の住宅バブルピーク時の07年でも、持ち家で3%、賃貸で11%にとどまっていた。オルドス市関係者は「オルドスは特に状況はひどいが、中国が抱える問題の縮図かもしれない」と指摘した(参考文献:信濃毎日新聞)。
(2)胡錦濤指導部10年の評価―経済躍進、貧富の差は拡大(11/9) ***
11月の中国共産党大会後、トップの座を退く胡錦濤総書記(国家主席)は、02年の就任後、中国を世界第2位の経済大国に押し上げ、北京オリンピックの成功や宇宙開発の進展など大国としての成果を上げた。一方で、極端な格差社会を招くなどの課題も残した。
中国の11年の名目国内総生産(GDP)は、47兆2882億元(約600兆円)で、02年の4倍近くに膨れ上がった。個人所得も急増して、住宅や車は庶民の普通の欲求に変わった。
他方、軍事予算は毎年2ケタの伸びを続け、08年には米国に次ぐ2位になった。今年9月には空母を完成させたと言われる。
しかし、これらを胡氏の成果とすることに関する疑問の声もある。失業者増大という犠牲を払いながら国有企業改革をやり遂げ、01年のWTO加盟を実現させて発展の基礎を築いたのは、朱鎔基前首相である。五輪誘致、宇宙開発や軍拡路線は、江沢民前指導部のときにレールが敷かれていた。これを根拠に、胡指導部の功績を、
@ 台湾との関係改善
A 農業税廃止など農村改革
に限定し、残りは前指導部の決定を粛々とやっただけといううがった見方をする中国人研究者もいないわけではない。
胡指導部は、「社会の公平・正義をよりよく確保する」と宣言し、弱者にも配慮して格差是正を目指す政策を打ち出してきた。だが、一党独裁下での経済発展により党幹部らを中心とした特権階級が生まれ、貧富の格差は拡大した。乱開発や公害等深刻な社会問題を招いた。これを克服する決定的な有効策を、任期中に打ち出すことはできなかった。
外交では、覇権を唱えないと強調しつつ、米国主導の世界安全保障秩序に属さず、太平洋やインド洋での独自の海洋権を確立する政策を推進した。
対日関係については重視する政策を採ったが、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りには同意しなかったとされる。また、尖閣諸島(釣魚台)の領有権問題は、日中関係を悪化させる原因になった。同諸島の領有権については、1972年の日中国交回復以来、日中政府間で棚上げの合意が、暗黙裡に維持されてきた。中国の漁船を日本が拿捕した事件を契機に、前述の合意が民主党政権により破棄され、さらに石原慎太郎前都知事の挑発的な東京都による買収の動きに呼応して、野田政権下で国有化された。胡主席は国際会議のときに、野田首相に直接に口頭で尖閣国有化の回避を要請したが、日本政府はそれを無視して、要請の翌日に、尖閣諸島国有化を発表した。これに対して、胡主席は不快を感じたとされるが、この事件を契機に日中関係は悪化したまま現在に至っている。