[経済統合]

(1)乗り遅れた日本の経済統合(11/28) ***

環太平洋経済連携協定(TPP)は、もともとシンガポール、ニュージーランドなど4カ国の小粒な枠組みであった。09年11月に、部外者だった米国が身を乗り出したことで、大国主導の外交戦略の装置に化けた。これに鳩山政権は気づかず、蜂の巣をつついた騒ぎになったのは、菅首相が10年6月に所信表明演説でTPPに言及してからだ。

振り返ると、日本の通商政策が瞑想した年月はさらに長く、TPPの萌芽は90年代にさかのぼる。

92年に欧州連合(EU)を誕生させるマーストリヒト条約が締結され、EUの結束を脅威に感じた米国は、同じ年に北米自由協定(NAFTA)交渉を決着させている。アジアでは、マレーシアのマハティ―ル首相がアジアの団結を訴え、東アジア経済協議体(EAEC)構想をぶち上げた。シンガポールとニュージーランドが自由貿易協定(FTA)締結の可能性を模索し始めたのもこの時期である。両国の連携が現在のTPPの源流だ。2国間のFTAの競争は、すでに20年前から始まっていた。国連や世界貿易機関(WTO)を国際社会とみなし、多国間の意思決定を重んじる日本は、この世界の潮流の変化を読めなかった。

なぜ日本は、2国間の通称戦略を避けたのか。それは、95年の日米自動車交渉の決着であった。日本の交渉担当者は、米国を相手にWTOに提訴したからこそ、米国の一方的措置を封じ込めることができたと、勝利宣言した。このときの勝利の陶酔が、世界を眺める視野を狭めたのではないか。日本の通商政策は「WTO至上主義」に傾斜していった。遅々として進まないWTO交渉を待つ間に、中国と韓国は東南アジア諸国連合(ASEAN)とFTAを結び、経済統合を進めている。

気がつけば、世界中にFTAが張り巡らされている。韓国は、米国やEUとの交渉も乗り切りつつある。その背景には、国内で断行した農業改革がある。自国農産物市場の開放を材料に、交渉国に工業製品の関税撤廃を迫れるからだ。

日本の農業改革の議論は、TPP騒動の中でようやく始まったばかりだ。世界の動きを見誤り、必要な改革を先送りしたツケは大きい。


[アメリカ経済]

(1)米景気「改善続く」(12/2) ***

米連邦準備理事会(FRB)は、地区連銀報告で、米経済は「全体を考慮すると改善し続けている」との認識を示した。ただ、住宅や雇用には不安が残り、順調に回復軌道に乗るかどうかは不透明だ。報告は全米12の地区連銀が11月19日までに集めた情報などで作成した。

GDPの7割を占める個人消費は、一部で安値志向が残るが「プラス方向になってきた」と分析した。特に年末商戦の見通しも明るく「いくつかの地区では売り上げが1年前の水準より高くなると予想している」と紹介した。新車の販売は前回の報告から大幅に伸びたという。だが、住宅市場はいくつかの地区が過去6週間で一段と悪化したと指摘し、「低迷した状態が続いた」とした。

雇用についてはほとんどの地区で改善の動きがあったが、賃金は抑制された状態となった。