インフォーメーション・サービ126:2008年度対策 経済事情 連載 第八回
「欧州連合(EU)経済」
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1.93年欧州連合(EU)が発足
参加15カ国の国民投票による批准により、欧州連合条約(マーストリヒト条約)が93年に発効し、ヨーロッパ共同体(EC)の市場統合を、経済・通貨同盟および政治統合へと発展させる欧州連合(EU)が発足した。
注:当初のEU参加15カ国は、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、オーストリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、アイルランドである。
2.2001年以降のEU経済
(1)2001年は、世界的景気減速のなかで、ユーロ圏の実質GDP成長率は、1.7%と最近では低い成長であった。特に、2001年の10〜12月期の成長率は年率0.8%減となり、四半期ベースで9年ぶりのマイナス成長となった。ユーロ圏のGDPの7割以上を占めるドイツ、フランス、イタリアの3カ国の成長率が大きく落ち込んだことによる。
(2)2002年のユーロ圏経済は、前半にプラス成長に転じたが、年後半から景気は減速した。個人消費が低迷し、鉱工業生産、固定投資とも減少し、実質GDP成長率は0.9%と、93年のマイナス成長以来の低成長であった。
(3)2003年に入っても、2002年後半から減速していた景気が、さらに落ち込み、上半期に2四半期連続でマイナス成長となっており、依然として低迷が続いている。その結果、2003年の実質GDP成長率は0.8%と、前年を一層下回る低成長であった。この景気減速の主な要因は、2002年秋以降のユーロ高のため、輸出が減少したことである。また、イラク戦争により、企業マインドが悪化し、生産、投資が減少したためでもある。しかし、年後半は、アメリカを始めとして世界経済の力強い回復により、輸出が増加しプラス成長に転じ、景気は緩やかに回復した。
(4)2004年は、年前半は外需が景気をけん引し、後半はユーロ高により外需は低迷した。しかし、後半は、低金利により設備・住宅投資が増加し、消費も回復し、内需が回復した。しかし、全体としては緩やかな景気回復となり、実質GDP成長率は1.8%となった。内需が堅調に増加するフランス、イタリアなどは力強い景気回復となり、内需が弱い国は緩やかな景気回復となり、景気のばらつきが鮮明となった。
(5)2005年は、アメリカの利上げによるユーロ安が前半は輸出を増加させたが、原油価格の高騰などもあり年末にかけ減速し、実質GDP成長率は1.6%へ低下した。
(6)2006年から07年初までは、3%程度の堅調な成長であった。好調な企業部門の設備投資に加え、EU新規加盟国や産油国の旺盛な需要などが、アメリカ向け輸出の減速の影響を緩和し、輸出が増加している。このため、失業率も7.9%とユーロ誕生以降最低水準となり、雇用情勢も緩和している。
3.雇用情勢
EU全体の失業率は、他の先進諸国に比べて高水準である。欧州委員会によると、若年層や長期の失業者が増加している。これは、新産業分野に適した人材が確保できないことや、高福祉のため、高い失業保険給付が失業者の就業意欲を低下させていることや、年金保険料の負担など企業にとり未熟練労働者の労働費用が高いためである。 2001年以降の景気の低迷により、失業率は上昇傾向にあり、2004年のユーロ圏の失業
率は8.9%に上昇した。だが、03年後半からの景気回復により、06年は7.9%へ低下した。
一方で、高福祉を削減したイギリスは、ユーロ圏に比べ堅調な成長を保っており、2005年の失業率も2.9%の低水準である。
4.単一通貨ユーロの導入
(1)経済・通貨統合への最終段階に向けた動き
ユーロ導入前に、ユーロの導入のための基準達成へ各国の取り組みが行われた。基準とは、財政赤字の対GDP比が3.0%以下、債務残高の対GDP比が60%以下、低いほうから3カ国平均の消費者物価上昇率+1.5%以内の消費者物価上昇率であることなどである。 また、96年の欧州理事会で、「安定と成長の協定」が合意され、ユーロの信頼性確保のため、参加国の財政赤字が対GDP比で3%を超えると、2年以内に是正されない場合は、最高で対GDP比の0.5%の制裁金が科されることなどが規定された。
(2)ユーロ参加国の決定
98年5月に、イギリス、デンマーク、スウェーデンそしてギリシャ(ギリシャは2000年6月に参加)を除くEU11カ国の通貨統合への参加が決定した。12月に、ユーロと11ヶ国通貨との交換比率が決定され、99年1月1日に単一通貨ユーロが誕生した。個人の商取引は当面は、各国通貨で行われたが、2002年に予定通り各国でユーロが流通し始めた。
(3)欧州中央銀行(ECB) ECBは、98年6月に発足し、ユーロ導入後は、参加国全体の金融政策を行う。ECBの金融政策は、政策委員会により決定され、政策委員会のメンバーは、ECBの役員と参加国の中央銀行総裁である。
ECBは、03年6月に政策金利を引下げ、戦後最低の2.0%とした後、約2年半これを維持した。しかし、05年12月に政策金利を0.25%引上げ2.25%とした後、06年3月にさらに0.25%引上げ2.50%とした。ユーロ圏は05年末は減速したが、景気回復過程にあり銀行貸出も増えており、エネルギー価格高騰もあり、インフレ抑制のために利上げを行った。
欧州中央銀行(ECB)は、07年6月には、今回の利上げ局面では8度目となる利上げを行い、政策金利を4.0%へと引き上げた。そして、07年11月にユーロ圏13カ国の主要政策金利を現行の年4%で据え置くことを決めた。政策金利の据え置きは6ヶ月連続となる。ユーロ圏は、インフレ懸念がある一方で、サブプライム問題を受けた景気減速への心配も高まっている。
イギリス中央銀行のイングランド銀行は、金融政策委員会を開き、政策金利を現行の年5.75%から0.25%引き下げ、年5.50%とすることを決め、即日実施した。利下げは、2年4ヶ月ぶりである。成長が減速する兆候が見られ、先行き景況感の悪化で消費の減速が見込まれるためである。金融市場の混乱で、景気の先行きに不透明感が強まってきたことや、成長を先導してきた不動産市場が冷え込む兆候があることを重視したと見られる。
(4)ユーロの変動
当初、ユーロは、減価基調で推移し、2000年10月には発足当初と比較し、対ドルと対円で約30%減価した。そのため、日米欧協調でユーロ安是正のための協調介入を行った。このため、2002年6月に、1ユーロ=0.98ドルと2年4ヶ月ぶりの高値をつけた。その後も、ユーロ高の傾向にある。記述のとおり、このユーロ高が、2002年後半から2003年前半のEUの景気低迷の主な要因であった。
しかし、2005年半ばに、EU憲法の批准の国民投票で、フランス、オランダで否決され、2006年秋予定の発効が困難となった。このため、アメリカの利上げもあり、ユーロは対ドルで大幅に減価し、ユーロ安傾向で推移した。しかし、06年には、ECBの利上げにより、再びユーロ高となっている。
(5)EU加盟国の財政赤字
ポルトガルは、2001年に財政赤字が対GDP比で4.1%になり、義務付けられている上限の3%を上回った。また、2002年に、ドイツの財政赤字が対GDP比、で3.7%と上限を上回った。両国とも、EU財務相理事会から是正勧告を受けている。フランスも、2002年に財政赤字の対GDP比が3.1%と3%を上回り、是正勧告を受けている。ドイツ、フランス両国とも、2004年まで3年連続で3%を突破した。両国の「安定と成長の協定」違反に対し、EUの最高意思決定機関である欧州理事会は、事実上容認し、制裁手続きを停止した。大国の論理が強く反映された決定であり、同協定が形骸化された。
2005年に、3%の遵守規準は残されたが、独仏などの大国の要請が認められ、同規準は従来より緩和された内容となった。すなわち、政府財政赤字の対GDP比が3%を超えても、小幅かつ一時的な場合に、経済成長がマイナスないし潜在成長率以下の成長率が長引くならば、過剰財政赤字とはみなさないこととした。また、年金制度改革、研究開発、欧州統合のための財政支出の一部を赤字の対象から外すことができるとした。ECBを初め、金融界からは財政規律の緩みを警戒する声が相次いでいる。
5.EUの東方拡大
EUは、2004年5月に東欧の10カ国が加盟し、25ヶ国となった。これにより、人口は約2割増の4億6千万人に増加したが、GDPの規模は4.6%増となったにすぎない(2001年の推計)。新規加盟国の一人当たりGDPは、拡大以前の15カ国平均の半分弱に過ぎない。 現在のEU域内でも、経済格差は小さくなる傾向にあり、今回の10カ国の加盟も、長期的に格差は平準化していくことが予想される。
この拡大したEUを効率的に運営するために、欧州理事会は新基本条約であるEU憲法を採択した。EUの発言力強化を意図し、効率性を保証するため、様々な機構改革が盛り込まれた。大統領や外相の新設などは、EUに顔を与え求心力を強める意図が見られる。 しかし、EU憲法は、05年半ばにフランス、オランダ両国の国民投票で否決された。EUの中枢的な両国の否決は、さらなる加盟国増加に否定的であるという意味を持つ。イギリスも、この状況の下で、EU憲法の批准手続きを凍結した。このため、06年秋予定のEU憲法発効は見送られた。
注:加盟10カ国は、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、キプロス、エストニア、ラトビア、リトアニア、マルタである。
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