インフォーメーション・サービ109:2007年度対策 経済事情 連載第6回[金融市場]


Y 金融市場

1 超低金利の金融市場

(1)95〜96年度に、駆け込み需要もあり、3〜4%の成長となり景気は完全に立ち直ったかに見えたが、消費税引き上げ、金融危機、アジア危機などにより、97年度以降景気後退となり、99年2月から、日本銀行が、無担保コールレート(翌日物)を実質ゼロ水準に維持する資金供給を、2000年7月まで行った。

(2)2001年に景気後退に入ったため、2〜3月と2回公定歩合が引下げられ、0.25%となり、同時多発テロによる景気後退懸念により、9月に公定歩合は0.1%となった。また、日銀の国債買いオペなどによる潤沢な資金供給により、4月から再び無担保コールレート(翌日物)をゼロ金利とした。

(3)公定歩合も金利も下限に達し、日銀がさらに行った政策は、潤沢な資金供給す なわち量的緩和政策であった。それは、日銀当座預金残高目標と長期国債買い入れ額の引き上げであった。双方とも徐々に引き上げられ、前者は、2004年2月に30〜35兆円程度となり、後者は、2002年10月に月1兆2,000億円程度となった。

 量的緩和政策は、金融機関への不安感が強かった時期に、金融機関が資金需要に応じることにより金融市場の安定や金融緩和策を維持する効果があった。さらに、再びデフレに戻らないと確認できるまでは、継続することにした。

(4)2005年に景気拡大が本格化し、量的緩和政策の解除に向け追い風が吹いていた。量的緩政策の解除とは、金融調節の指標を、現在の日銀当座預金残高から金利に戻すことである。解除する条件として、日銀は次の条件を挙げていた。

@消費者物価指数(CPI)の前年比上昇率が、数ヶ月以上安定的にゼロ以上となる。

A日銀政策委員の多くが、今後のCPIが0%を超える見通しを持つ。

B景気や物価を総合的に判断する。

 日銀は、この3条件が満たされたとして、06年3月に量的緩和政策の解除を決め実施した。貨幣の量を増やして経済をテコ入れする異例の金融政策は終わり、金利を上げ下げする本来の手法に戻ったのである。このように引締め政策に転じたのは、2000年8月のゼロ金利解除を除くと、90年8月以来約15年ぶりとなる。

 その後、日銀は、7月の金融経済月報で景気の総合判断を「緩やかに拡大している」に上方修正した。「拡大」の表現は14年ぶりであった。この時点で、景気も戦後最長の景気拡大に迫っていた。日銀は、ゼロ金利を維持し続けると、経済・物価が大きく変動する可能性があるとして、7月の政策委員会・金融政策決定会合でゼロ金利政策の解除を全員一致で決めた。

 ほぼゼロ%としてきた無担保コールレート翌日物の誘導目標を、即日年0.25%に引上げた。そして、その後も低金利を維持し、景気の足を引っ張らないようにする方針である。

2 ペイオフ解禁

(1)2002年4月の定期預金のペイオフ(銀行が倒産すると、預金1,000万円までと、その利子だけしか保証しない制度)解禁により、1000万円以上の定期預金の2002年5月末の残高は、前年度同月比で42兆円も減少し、93兆円であった。しかし、1000万円未満の定期預金は、横ばいである。

(2)解約された定期預金が向かった先は、普通預金である。2002年5月に、普通預金を含む要求払い預金の残高が、約237兆円と定期預金を初めて上回った。

(3)都市銀行の預金残高は、2002年に入ってから前年同月比で6〜12%の高い伸び率を示し続けている。また、ペイオフの対象外である外国銀行も法人預金などが急増している。一方で、第二地銀は、減少が続いている。預金者は、ペイオフ解禁により安全な金融機関に預金をシフトさせているのである。

(4)2003年4月から延長されたペイオフ全面解禁は、2005年4月に混乱なく実施された。これは、不良債権処理の進展や景気拡大を背景に、金融システム不安が後退したからこそできたのである。

3 不良債権処理

(1)バブル崩壊により、企業収益が悪化し増加させた借り入れの返済負担が重くなり、さらに、不動産担保価値が下落すると、金融機関の貸出債権は、企業が返済不能となり不良債権化するのである。

(2)大手銀行の不良債権残高は、2001年度末には、前年同期比8.4兆円増加し、27.6兆円となった。デフレや景気後退により不良債権が新たに発生したことに加え、金融庁の特別検査により、銀行が融資を厳しく自己査定したためである。

 すべての民間金融機関の不良債権残高は、2001年度末には前年同期比9.5兆円増え、52兆4000億円となった。この増加額は、ほとんど大手銀行のものである。

(3)大手銀行は、不良債権処理損(貸し倒れに備えた引当金や債権放棄)が、2001年度に本業の儲けである業務純益の倍以上の8兆円規模となり、株価低下により保有株の含み損処理などもあり、連結ベースの大手銀行の最終赤字は4兆2924億円に達した。

(4)2002年度(2003年3月期)決算では、大手銀行7グループの不良債権残高が、合計約21兆円と前年同期比で23%減少した。不良債権の最終処理を約12兆円と倍増させたのが主な要因である。政府は、2005年3月末までに、大手銀行の不良債権比率(不良債権÷銀行の貸付残高)を、2002年3月末から半減させることを目標としており、各行とも対応を急いだのである。その結果、大手銀行の2002年度連結決算は、全行が最終赤字となり、最終赤字総額は4兆6,199億円であった。

(5)2003年度の大手銀行の連結決算は、UFJホールディングスとりそなホールディングスを除く5グループの税引き後利益が黒字となり、その黒字総額は約4兆円増加した。これは、景気の回復が明らかとなったことや、不良債権処理損失が減少したためである。そして、7グループの不良債権残高は、前期比6兆6,000億円減少し、13兆6,000億円となった。自己資本比率も、UFJホールディングスを除く6グループで上昇し、財務体質が改善された。

(6)大手銀行は、2005年3月期(2004年度)に不良債権比率の半減目標を揃って達成したが、本業の収益力の回復はまだ道半ばである。大手銀行の合計で、2004年度に4期ぶりに最終黒字となったのは不良債権処理損失が大幅に減ったためである。

(7)2006年3月期(2005年度)は、大手銀行・金融6グループがバブル期を超える空前の好決算となった。これは、不良債権処理や公的資産の返済という過去の足かせから脱却しつつあるということを示している。

 景気回復で貸出先の業績が回復し、不良債権が不良債権でなくなり、貸倒引当金から巨額の戻り益が発生したのである。不良債権残高も4.7兆円へ大きく減少した。また、不良債権処理により払った税金が、収益が回復したことにより繰り延べ税金試算として戻ってきたのである。

 06年3月期には、すべての大手行の税引き後利益が黒字になった。そして、三菱UFJとみずほが6〜7月に公的資金を返済し、三井住友が07年3月までに公的資金を完済すると正式表明した。

(8) 地方銀行と第二地方銀行の不良債権残高は、年々増加したため、2001年度末には、14.8兆円にまで増加した。しかし、2002年以降の景気回復もあり、2005年度末には8.7兆円にまで減少した。不良債権比率は4.5%であった。信用金庫・信用組合の残高も減少し、同年度末には6.2兆円にまで減少し、不良債権比率は6.2兆円であった。しかし、不良債権比率などは大手銀行(同年度末1.8%)より劣っており、地域銀行の不良債権処理策は、まだ大手行のように脱していないことが分かる。

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